『宗谷岬平和公園』 ってどんな場所なの?

2020年12月7日



宗谷岬平和公園には、日本最北端の地の碑をはじめとして、間宮林蔵の立像宗谷岬音楽碑宗谷岬灯台祈りの塔子育て平和の鐘世界平和の鐘宮沢賢治文学碑あけぼのの像旧海軍望楼平和の碑宗谷海域海軍戦没者慰霊碑、宗谷丘陵展望休憩施設ラ・ペールズ顕彰記念碑など見どころ満載の「宗谷岬平和公園」をご紹介します。



[宗谷岬(日本最北端の地の碑)]


まずは『宗谷岬』の説明から始めますね。
ここ宗谷岬は北海道の稚内市にある岬で「国内最北端の地」として、とても有名な観光地です。実は宗谷岬が最北端の地と言われていますが、正確には日本の実効支配の及ぶ最北端の地は、「宗谷岬」から西北西に向かい約1kmほど離れた場所にある無人島の「弁天島」が最北端の場所になります。ただ一般の人が訪れる事が出来ない島と言う事から、宗谷岬が国内最北端の地とされています。
宗谷岬のすぐ北にある樺太(サハリン島)の最南端にある西能登呂岬(クリオン岬)までは、約43kmしか離れていない距離にあるため、天候次第では樺太の姿を垣間見る事が出来ます。そして内陸に目を向けてみると周氷河地形を形成した宗谷丘陵が広がっていて、ここには自然を充分と体に感じながら歩く事の出来るフットパスの「宗谷丘陵コース」(ロングコース・ショートコース)があります。そのロングコースは宗谷岬が起点になっていますので、是非一度フットパスコースに歩を進めてみては如何でしょうか?
また宗谷岬の事はアイヌ語で「notetu(ノテトゥ)」と呼ばれます。


そして浮浪雲さんの一番最初に目にした白いモニュメントが『日本最北端の地の碑』です。北極星の一稜がモチーフにされたデザインで、モニュメントの中心には「北」を表す「N」がデザインされています。そして台座が円形に象られているのは「平和と協調」と言う意味が表現されています。初代石碑は1961年に建立されました。そして正確な最北端の位置を示す為に、1968年に2代目石碑が建立され、その後1988年に駐車場・広場の設置する為に、最終的に広場の最北位置に移設されました。あと「宗谷岬」で忘れてはいけない事は、『日本最北端の地から拝む初日の出』です。日本のテッペンの地で水平線から昇る初日の出は最高の感動を得る事が出来ますので、絶対に見ておきたい「貴重な瞬間」です!



[間宮林蔵の立像]


江戸時代後期の徳川将軍家の御庭番であり探検家、そして近藤重蔵、平山行蔵と共に「文政の三蔵」と呼ばれた人物です。1808年に樺太が島である事、そしてそこに間宮海峡(諸外国ではタタール海峡が呼称)がある事を、幕府から命を受け「松田伝十郎」と共に樺太へ渡る事で発見した人物。この間宮林蔵の偉業を称える事と共に、世界へ羽ばたく夢と勇気を、青少年たちが培って貰う願いを込めて、1980年の間宮林蔵生誕200年の時に、この「間宮林蔵の立像」は建立されました。当初は今より南西にある「間宮林蔵渡樺出港の地」に建てられていましたが、1988年に「日本最北端の地の碑」から、ほど近い現在の位置に移設されました。



【宗谷岬音楽碑】


1980年に建立、そして2002年の生誕30周年に、スイッチを押すと千葉紘子さんの歌う「宗谷岬」のメロディーが流れる「30周年記念音楽碑」が建立されました。「宗谷岬音楽碑」には、郷土歌「宗谷岬」の歌詞と楽譜が刻まれています。この『宗谷岬』と言う曲は、昭和51年に「みんなのうた」でダ・カーポが歌ったことでヒットしたのですが、オリジナルは昭和47年の黒木真理(くろきまこと)さんとの事です。稚内在住の吉田弘さんが作詞をして、船村徹さんが作曲をして出来上がった曲です。



【宗谷岬灯台】


日本の最北に位置し「日本の灯台50選」に認定されている灯台です。稚内灯台と同様に国境を守る灯台で、樺太のクリリオン岬の西能登呂岬灯台と宗谷海峡を挟み、国際海峡である宗谷海峡の航路を守っている灯台です。外観は紅白のツートンカラーで宗谷岬から約120m南に離れた高台に設置されています。1885年に道内では3番目に建てられた歴史の古い灯台です。霧信号所、無線方位信号所も併設されているために、視界の悪い碑などには霧笛や電波を発信をすることで宗谷の方向を知らせています 。



[祈りの塔]


1983年に突如として発生した大韓航空機撃墜事件。その犠牲になった人たちへ捧げられた慰霊の塔です。落成は事件の2周忌に当たる日に岬の裏の丘の上に建てられました。19.85mの塔の高さを持ち、16ヶ国の遭難者から16枚の羽根、そして269名の遭難者を弔いの意味を込め269個の白御影石を張り石として使用して建てられています。



[子育て平和の鐘]


稚内市は平和都市宣言をしています。この平和とは、「家庭の平和」「地域の平和」「世界全ての平和」を願っています。そんな平和を願う気持ちの市民総意から実施さた10円玉貯金等により作られたのが、この『子育て平和の鐘』です。



[世界平和の鐘]


1988年に世界恒久平和の願いを込めて建てられたモニュメントです。この「世界平和の鐘」は、国連本部に1号鐘、宗谷岬にあるものが2号鐘、そして稚内との友好都市となっている沖縄県石垣市に建てられているものが3号鐘として設置されています。



[宮沢賢治文学碑]


文学碑 碑文
『はだれに暗く緑する宗谷岬のたゞずみと北はま蒼に唾るサガレン島の東尾や』
1923年に稚内から大泊への連絡船の客になった時に宮沢賢治が作詞しました。この前の年に妹トシを失った宮沢賢治が、「永訣の朝」「無声慟哭」を書き留め、亡くなった最愛の妹トシと心の中で繋がりながら出た旅の心情を綴った一説です。



【あけぼのの像】


19971年に北海道における牛乳生産量100万トン・飼育乳牛50万頭を突破した記念に建設された「酪農に携わる夫婦の像」です。



【旧海軍望楼】


ロシアとの国交悪化の兆しが見えた1902年に、対ロシアとの国境の備えとして建設されました。当時最強といわれたロシアのバルチック艦隊の動向を、いち早く察知する事が戦略上の最重要事項であった為に、同望楼の海上監視も特に厳重体勢で臨みました。日露戦争の終結で一時望楼の使命が終了かに見えましたが、沿海州で起きた尼港事件の際の無線通信基地、太平洋戦争では対潜水艦監視基地としても活躍をしました。1968年に稚内市の「市の有形文化財」に指定されました。



【平和の碑】


太平洋戦争の際に、日本海軍に撃沈されたアメリカ海軍潜水艦「ワフー号」の乗組員80名と、ワフー号によって日本海で沈められた、日本商船5隻の犠牲者696名を慰霊するために、1995年日米合同で建立された碑です。初の日米合同で建立された慰霊碑です。



宗谷海域海軍戦没者慰霊碑


稚泊航路連絡船の身代わりとなって爆沈した、「第112号海防艦」の乗組員152名の霊を慰め、1980年に建立されました。その際には旧防備隊々員から寄せられた浄財250万円が使われました。



【宗谷丘陵展望休憩施設(宗谷岬肉牛牧場)】


眼下には牧場、目を上に向けていくと青い空と碧い海が広がり、天候次第では遠くサハリンの島影を望む事の出来る高台に、1991年にオープンした風車のある建物が印象深く、強く北海道を感じられる展望休憩施設です。最北の地の絶景を、心のフォトグラフに焼き付けた後には、ここに併設されている「レストラン・アルメリア」で、「これぞ北海道!」と言えるような新鮮な海の幸を素材とした食事や、日本最北の宗谷牧場で生産されるブランド牛肉である「宗谷黒牛(そうやくろうし)」を堪能する事が出来ます。

[宗谷黒牛]
黒毛和種の牛で、黒毛和種×アンガス種または、黒毛和牛×ホルスタイン種の交雑種などで作られた品種です。肉質は適度なサシが入り柔らかく、甘みのある脂が特徴で、黒毛和牛の長所をしっかりと引き継ぐ品種です。北海道の新鮮な海の幸も捨てがたいけど、宗谷を訪れたら是非味わってみて下さい。



【ラ・ペールズ顕彰記念碑】


フランスの海軍士官及び探検家のラ・ペールズ伯ジャン(フランソワ・ド・ガロー)が、宗谷海峡(ラ・ペールズ海峡)を発見したことを記念し、2007年(平成19年)に建立した記念碑です。



こんな感じに『宗谷岬平和公園』は魅力満載の公園です!

このような感じに沢山のスポットが広い公園エリアに集まっています。大自然の公園の中を、のんびりと歩きながら巡ってみると、新しい発見が出来ますよ。